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2018年7月9日月曜日

【2018上半期TOP PV】[大人の新金線] 新金線に、川のない橋はなぜあるのか?(その1)東京街道踏切


新金線は、2018年度も旅客化実現のための「調査費」が3,100万円つくことになり、また一歩現実味を帯びてきましたね。



新金線の旅客化実現を推す区民の会にも所属しているオトカツは、先日、新金線の線路沿いを新小岩から金町方面に散歩したんです。


ちょうどこのブログの2018年通年テーマの「葛飾の橋」の取材も兼ねていたのですが、東京街道踏切の脇に、鉄橋がありました。


こんな鉄橋。

左奥が東京街道踏切。

川の部分、干上がってますな。

不法投棄的なものもありあすな。

これなんでしょ?



これは、明治42年(1908年:左)と現在(右)の東京街道踏切付近の地図です。

赤い丸じるしをつけたところが、東京街道踏切です。

左の明治42年の地図には、新金線の代わりに一本の線が通っていますね。

これは仲井堀と呼ばれるものです。

葛飾区は、関東大震災、東京大空襲より以前は、広大な田畑の広がる土地でした。

その用水を水元小合溜から引くための用水路が江戸時代の中期に完成しました。

葛飾の土地を東から西に3本の用水路。

東井堀、仲井堀、西井堀です。

1963年に新中川ができるまで、この3本の用水路は形を留めていたようですが、その後の宅地化により暗渠となっています。

東井堀、西井堀は、その暗渠の上を「親水公園」として跡をとどめていますが、仲井堀はおそらく新中川とルートが重なる部分が多く、まったく原型を留めなくなっています。


おそらく唯一、鉄橋というかたちで、堀の跡が残っているのが、東京街道踏切の横なんですね。


2018年5月19日土曜日

[大人の新金線] 新金線沿線ウォークに参加してきたよ!区民の力で走らせようぜ!


今日は「第2回新金線沿線ウォーク」に参加してきました。

午前中は雨との天気予報もあり、実施もやや危ぶまれましたが、集合時間にはすっかり雨も上がり、ときどき陽が射す、ウォークには絶好の日でした。

新金線?ってなに?

実は葛飾区、じわじわ新金線の実現に向けて動いているんですよ。

最近の新金線の動きについては、こちらを参考にしてみてくださいね。

2017年は区の予算から調査費がつき、実現を熱望する「新金線区民の会」も活動に拍車がかかりました。

2018年は、予算が増額され3,100万円の調査費で、区として実現可能性を精査することになります。

葛飾区としての活動は着々と動いていますが、やはり区民が必要!と叫ばなければ、計画はなくなってしまうかもしれません。

スタートは金町駅

朝9時半、いい天気です!

新金線のレールはすでにあります。

今日はこのレールに沿って、新小岩駅まで歩きます。


このウォーキングは、ただ歩くだけじゃないんです。

ライトレール新金線の実現のためには、いくつかの課題があると考えられています。

このウォーキングを通じて、実際に課題を確認し、解決の可能性を探ることも大きな目的です。

金町駅周辺にも解決したい課題もあるのですが、やはり最大の課題とされているのは、水戸街道(国道6号線)の踏切横断ですね。


水戸街道は、言うまでもなく北関東方面との大動脈であります。

新金線と交差する踏切は「新宿踏切」と呼ばれていますが、正式には「新宿新道踏切」と言います。

慢性的な混雑を懸念する声があります。

「今でさえ混雑しているのに、LRTが頻繁に通過したらもっと混雑するのではないか!」

と思ってる方多いんです。

しかし、「新金線いいねっ!市民の会」では、解決策を用意しています。



  • 大前提として、いまの信号切り替え(赤→青→赤)のリズム(時間間隔)は変更しない。
  • 国道側信号が赤になっている時間帯のみ、新金線を横断させる。
  • 新宿新道踏切の脇には、新しく日赤病院ができる予定があり、またこのエリアには福祉施設なども多いことから、駅を設置する。
  • 新金線は国道側信号が赤になるのを待つために、国道を挟んで上下線の駅を設置し(上図)、駅で信号が変わるのを待つ。
これであれば、信号のタイミングは変わりませんので、今以上の混雑にはならないはずです。

お昼はウワサの「朝日屋」で

新金線いいねっ!区民の会」では、ほかにもいくつかの課題を確認しながら、ウォーキングをしていきます。

金町駅→新小岩駅の線路は7km弱しかないのですが、沿線の道路がかならずしも線路伝いにはありませんので、くねくね歩くようになります。

細田の周辺で、お昼となりました。

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細田の朝日屋さんは、お蕎麦はもちろん、やわらかい鶏肉を中心においしい料理が食べられるお店です。


今回は鶏天丼セットをいただきました。


フワフワな鶏の天ぷらが6つも乗っていて、どんぶりから落っこちそうです。

お店のことは別記事に書きましたので、そちらをみてね。

今日はこのランチで午後のエネルギーを蓄えます。


午後は新中川の土手沿いを下り、新金線が新中川を横断し新小岩方面に向かうルートをたどります。

現在も使用している貨物線としての新金線は、中川開通(1963年)以前の大正15年(1926年)から走っています。

新中川ができる前、このあたりは広大に田畑が広がる農地でした。

新金貨物線も平らな田畑を突っ切って走っていました。

しかし、新中川ができたことで、広い川幅や高い土手が障害となり、鉄橋と線路の架け替えがありました。

詳しくはこちらの記事をみてね。

そんな旧線路だった道路もたどりながら、15時ごろ新小岩駅に到着。


今回の反省会と打ち上げは、新小岩で夕方早くから開店しているお刺身のおいしい「一心」さんでした。

関連ランキング:居酒屋 | 新小岩駅


次回は夏の暑い時期を避けて、秋に開催です。

みなさんも一緒に、新金線開通を盛り上げていきませんか!




2018年4月5日木曜日

[大人の細田] 孫悟空ふたたび!なんと横の施設の名前は。。。[酸辣湯麺同好会]


細田の孫悟空です。



つい最近も行ったのですが、今回はそのとき食べれなかった酸辣湯麺をオーダーしました。

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前回の担々麺、麺もスープもおいしかったので、今回も期待です。

トップ画像にあるように、色は濃いめ。


具はたけのこ、人参、しいたけ、葉物といろいろ入っています。

麺を持ち上げてみました。

スープのとろみが強く、おもたーい。

麺は、葛飾が誇る製麺屋さん新栄食品ですから、味に間違いはありません。

スープの味は濃い目でやや甘め。

お酢を足して酸味を増やして、好みの味となりました。

孫悟空さん、美味しいお店ですね。

お店を出て、ふと隣を見ると、認知症高齢者施設がありました。

その施設の名前はなんと!







きんとん雲

まちがいなく、おなじ経営者ですね(笑


孫悟空中華料理 / 京成高砂駅京成小岩駅青砥駅
昼総合点★★★★ 4.6

2018年3月28日水曜日

[大人の細田] 激辛担々麺は、スープも麺もうまうま!【細田 孫悟空】


今回は、お店があるのは知っていたけど、いままで来るチャンスがなかった細田の孫悟空です。



場所は。。。

どこと言ったら良いのでしょう。

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細田はいまのところ、陸の孤島ぎみでして。


まよこに新金線の線路が通っています。

立石大踏切の目の前です。

新金線が通れば、細田も人の流れが増えますね。


お店なかなか大きいです。

2階もありますし、一階の奥にはお座敷も。


いよいよお店です。


メニューを見ると、ディナーセットがありますね。

なかなか割安でオトク感がありますね。

今回は、いろいろ頼みましたよ。

紋甲烏賊とセロリの塩味炒め
青菜のにんにく炒め
この、青菜ににんにく炒め、とてもおいしかったです。ビールによく合う。唐辛子でほどよく辛くなっており、にんにくで香ばしく食欲がそそられます。

餃子

海老しゅうまい
山芋の四川風辛子麺
酸辣湯麺かな?

と思って注文してみたのですが、まったくのべつものでした。

麺が隠れるように乗っているのは山芋。

辛さはあまりなく、どちらかというと生姜の辛さが強調されていました。生姜の辛さと山芋のまろやかさが、麺にまたよく合う。はじめて食べた味でした。

激辛麻辣麺

そしてもう一品。

激辛麻辣麺。メニューに唐辛子マークが5つもついているので、ちょっと覚悟しましたが、口の中が火を吹くような辛さではなく、おいしく食べれました。


辛さの中にきちんと旨味が残っていて、豚のひき肉とともに麺にぴったり。

激辛麻辣麺の麺は、どうやら山芋の四川風辛子麺とは違った麺ですね。

麺もとってもおいしい一品でした。

またふらっと寄ってみます。

孫悟空中華料理 / 京成高砂駅京成小岩駅青砥駅
夜総合点★★★★ 4.5

2018年2月26日月曜日

[大人の新金線] 新金線に、川のない橋はなぜあるのか?(その1)東京街道踏切


新金線は、2018年度も旅客化実現のための「調査費」が3,100万円つくことになり、また一歩現実味を帯びてきましたね。



新金線の旅客化実現を推す市民の会にも所属しているオトカツは、先日、新金線の線路沿いを新小岩から金町方面に散歩したんです。


ちょうどこのブログの2018年通年テーマの「葛飾の橋」の取材も兼ねていたのですが、東京街道踏切の脇に、鉄橋がありました。


こんな鉄橋。

左奥が東京街道踏切。

川の部分、干上がってますな。

不法投棄的なものもありあすな。

これなんでしょ?



これは、明治42年(1908年:左)と現在(右)の東京街道踏切付近の地図です。

赤い丸じるしをつけたところが、東京街道踏切です。

左の明治42年の地図には、新金線の代わりに一本の線が通っていますね。

これは仲井堀と呼ばれるものです。

葛飾区は、関東大震災、東京大空襲より以前は、広大な田畑の広がる土地でした。

その用水を水元小合溜から引くための用水路が江戸時代の中期に完成しました。

葛飾の土地を東から西に3本の用水路。

東井堀、仲井堀、西井堀です。

1963年に新中川ができるまで、この3本の用水路は形を留めていたようですが、その後の宅地化により暗渠となっています。

東井堀、西井堀は、その暗渠の上を「親水公園」として跡をとどめていますが、仲井堀はおそらく新中川とルートが重なる部分が多く、まったく原型を留めなくなっています。


おそらく唯一、鉄橋というかたちで、堀の跡が残っているのが、東京街道踏切の横なんですね。


2018年2月16日金曜日

[大人の葛飾の橋(2 細田橋)] 京成タウンバス小54に乗って稲荷神社バス停からエイトホール方面へ抜ける栄光の架橋だぁ!【細田橋】


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋。



2回めの今回は、「細田橋」です。



細田橋は、車道橋と人道橋が別れています。

1961年(昭和36年)の建設ですので、ちょっと古い感じがしますね。

実は、中川に架かる橋は現在架替計画が進んでいます。

区議会資料より
これをみると細田橋の架替は、2017年(平成29年)から工事が始まることになっていますが、まだ始まっていませんね。

前回の「大人の葛飾の橋(1)三和橋」でも紹介しましたとおり、高砂、細田、奥戸の皆さんの結束は強かったようですね。

おなじ農業を営み、おなじ東井堀の水を分け合ってきた仲だったのだと思います。

この地区に、中川放水路(新中川)が開墾されたのは1963年(昭和38年)のことでした。


1965年の細田橋です。

中川放水路が開通して2年しか経っていません。

その左に見える水たまりのような場所は、現在の奥戸総合スポーツセンターのある場所です。


現在の地図を見てみましょう。

実はこのエイトホール、野球場、テニスコートのある場所は、環七が近いもののとっても交通の便が悪いところです。

右端にある「稲荷神社バス停」は、小岩から亀有に抜ける京成タウンバスのバス停ですが、遠方から来る人達はここから、細田橋を渡って、スポーツセンターにいくことが多いようです。

まさに、細田橋は、スポーツセンターに訓練にいく人たちにとって、栄光の架け橋!なわけですね。


2018年2月8日木曜日

[大人の葛飾の橋(1 三和橋)] CMにも登場した三和橋の物語。橋の名前の由来を知っていますか?



年末にお話しました、2018年のブログ企画「葛飾の橋」第1回目です。

今回は、新中川を細田で渡る「三和橋」です。

新中川は、戦前より放水路として計画されていましたが、戦後カスリーン台風の被害から再度開墾が再開され、1963年に開通した川です。

江戸川区地域の工事が遅れたため、三和橋が掛けられたのは川の開通より早く1961年(昭和36年)のことでした。


これは1947年(昭和22年)の地図に、現在の地図を重ねたものです。

右下に流れる青い線が、現在の新中川です。

新中川の建設

昭和13年の大水害、昭和22年のカスリーン台風、昭和24年のキティ台風。

水をうまく下流に逃がすことができなかったことから防げなかった足立区、葛飾区、江戸川区の大水害を受け、14年の歳月をかけて突貫工事でできた新中川。

おかげで、中川や荒川に掛かる負担は減り、大きな水害はほとんど発生しなくなっています。

しかし新中川の建設により犠牲になったものも少なくありませんでした。

地域の犠牲

新中川は、田畑が広がる足立、葛飾地域はもとより、人口密度の高い小岩周辺から下流域では、大規模な補償と転居を余儀なくされています。

田畑が広がっていた葛飾東部でも、地域住民への負担と不安は広がっていたことと思います。

いままで、水元小合溜から流れ出る東井堀という細い用水路しかなかったところに、最大幅143メートルの巨大放水路ができる。

田畑を売らなければならなかった人、住んでいた場所を移転しなければならなかった人などがいました。

この地域で農業を営む住民の間には、昔からある東井堀の水で共存してきたという気持ちが強かったのでしょう。


橋の名前

巨大放水路の建設が必要なことはわかる。

しかしそれでは地域が分断されてしまう。

奥戸、高砂、細田の、放水路流域の住民は、コミュニティーが分断されることを危惧したのでしょう。

この流域住民は、放水路ができたあとに掛かる橋に、三つの地域が融和するコミュニティが形成されるようにとの願いを込めて「三和橋」と名付けたといいます。

もしかして、思いのほかこのエリアの住民は仲が良かったのかもしれませんね。


橋の掛け替え


1961年(昭和36年)に掛けられた橋の写真が、橋のたもとの碑にありました。

人道橋と車道橋の二本がありますね。

人道橋は1972年(昭和47年)に増設されて、車道橋と分けられたようです。

旧三和橋が掛けられてから40年近くたった2000年(平成12年)には「三和橋橋づくり協議会」が発足し、橋の掛け替えプロジェクトに住民の意見を反映させています。

具体的に工事は、平成15年(2003年)から平成24年(2012年)まで工事が行われました。

100メートルを超える長大橋と呼ばれる橋は、河川区域の工事が大変で、梅雨や台風の時期には工事ができないそうです。


また、交通量が多く、旧三和橋を通行止にせず、横に新三和橋を建設したことも時間の掛かった理由かもしれません。(参考:東京23区jp)


新三和橋


平成24年(2012年)に完成した三和橋は、歩道部分も広く気持ちのいい橋ですね。


歩いてみると途中にベンチがあります。

はじめはこんなところ、座る人いるのかな?とおもっていたのですが、

三和橋の橋の由来を聞くと、ここで新中川が開墾される前の奥戸、細田、高砂に思いを巡らせることができるのじゃないかなぁ、と思うようになりました。


人工の川は、このあたりまっすぐですね。

次回この橋をわたる時は、ちょっと立ち止まってベンチで休んでみようかな。


そうそう、この三和橋、CMに使われていました。

どのあたりで出てくるか、探してみてくださいね。

2018年2月5日月曜日

[大人の細田] 世界で2番目、日本有数の広さを誇るドローン飛行場でドローン初体験!ヘンなところにひっかかっちゃった【DJIアリーナ】


細田には、日本初、世界でも二番目のDJI公認室内ドローン飛行場があるよ。



その室内ドローン飛行場で、ドローン触ったこともないオトカツがドローン体験してきました!



場所は細田。

新金線が通ればとても交通の便が良くなるのですが、今のところ小岩からバスが一番手っ取り早いでしょうか。


葛飾は、昭和に全盛だった町工場の跡地が多くあり、このようなドローン飛行場にはもってこいな広さの敷地がたくさんありますね。

前回のボルタリングも、広さを活かした練習場でしたね。


さて中に入ってみると、競技用の飛行場ががが。

でも、これ後からわかったのですが、上級者向けでした。

輪をくぐり抜けたり、決められたコースを飛んだりする、競技用のコース。

初心者向けの飛行場はこちら。

輪は、上級者用の裏面。

床にあるのは、ヘリポートのような着地場。それだけ。

DJIホームページ

初心者が飛ばすのはこれ。

製品名はMAVIC Air。

とっても小さいんです。

プロペラ畳んだら、手のひらに乗ります。

重さも思ったより軽い。

この軽さは、ちょっと意外でした。


もちろんカメラもついています。

はじめにインストラクターから使い方の説明です。

DJIホームページから
左と右にあるコントローラーを前後左右に動かしてコントロールします。

左のコントローラは、本体を上下させたり方向を変えたりします。

右のコントローラは、本体の進む方向を指示します。

まずは操縦してみないとわからない、と恐る恐る飛ばしてみます。

おもったより簡単に、飛んでくれました。

初心者エリアは、網で囲われていてドローンがどっかいっちゃわないようになっています。

時間が経つに連れ、なんだか面白くなってきて、いつのまにかスピードが上がってしまったようで

見えます?

網の高ーいところに、ひっかかってるドローン。

建物3階ぐらいの高さでしょうか。

インストラクターさん、現場を見て一言「あー高いなー」

ごめんなさい。


職員さん四人がかかりで、ドローン捕獲していただきました。

さぁ、気分を取り直して、操縦再開です。


1時間のコースでしたが、後半最後の方は、ドローン飛ばしながら写真を撮る余裕も。

うしし。

ドローンは思った以上に操縦が簡単でびっくり。


こちらのドローン飛行場では、DJI製品の販売や修理も行っています。

最近は規制が厳しく、飛ばせるエリアが限られていますが、ドローンの可能性はとっても広そうですね。

また来ようっと。