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2018年2月8日木曜日

[大人の葛飾の橋(1 三和橋)] CMにも登場した三和橋の物語。橋の名前の由来を知っていますか?



年末にお話しました、2018年のブログ企画「葛飾の橋」第1回目です。

今回は、新中川を細田で渡る「三和橋」です。

新中川は、戦前より放水路として計画されていましたが、戦後カスリーン台風の被害から再度開墾が再開され、1963年に開通した川です。

江戸川区地域の工事が遅れたため、三和橋が掛けられたのは川の開通より早く1961年(昭和36年)のことでした。


これは1947年(昭和22年)の地図に、現在の地図を重ねたものです。

右下に流れる青い線が、現在の新中川です。

新中川の建設

昭和13年の大水害、昭和22年のカスリーン台風、昭和24年のキティ台風。

水をうまく下流に逃がすことができなかったことから防げなかった足立区、葛飾区、江戸川区の大水害を受け、14年の歳月をかけて突貫工事でできた新中川。

おかげで、中川や荒川に掛かる負担は減り、大きな水害はほとんど発生しなくなっています。

しかし新中川の建設により犠牲になったものも少なくありませんでした。

地域の犠牲

新中川は、田畑が広がる足立、葛飾地域はもとより、人口密度の高い小岩周辺から下流域では、大規模な補償と転居を余儀なくされています。

田畑が広がっていた葛飾東部でも、地域住民への負担と不安は広がっていたことと思います。

いままで、水元小合溜から流れ出る東井堀という細い用水路しかなかったところに、最大幅143メートルの巨大放水路ができる。

田畑を売らなければならなかった人、住んでいた場所を移転しなければならなかった人などがいました。

この地域で農業を営む住民の間には、昔からある東井堀の水で共存してきたという気持ちが強かったのでしょう。


橋の名前

巨大放水路の建設が必要なことはわかる。

しかしそれでは地域が分断されてしまう。

奥戸、高砂、細田の、放水路流域の住民は、コミュニティーが分断されることを危惧したのでしょう。

この流域住民は、放水路ができたあとに掛かる橋に、三つの地域が融和するコミュニティが形成されるようにとの願いを込めて「三和橋」と名付けたといいます。

もしかして、思いのほかこのエリアの住民は仲が良かったのかもしれませんね。


橋の掛け替え


1961年(昭和36年)に掛けられた橋の写真が、橋のたもとの碑にありました。

人道橋と車道橋の二本がありますね。

人道橋は1972年(昭和47年)に増設されて、車道橋と分けられたようです。

旧三和橋が掛けられてから40年近くたった2000年(平成12年)には「三和橋橋づくり協議会」が発足し、橋の掛け替えプロジェクトに住民の意見を反映させています。

具体的に工事は、平成15年(2003年)から平成24年(2012年)まで工事が行われました。

100メートルを超える長大橋と呼ばれる橋は、河川区域の工事が大変で、梅雨や台風の時期には工事ができないそうです。


また、交通量が多く、旧三和橋を通行止にせず、横に新三和橋を建設したことも時間の掛かった理由かもしれません。(参考:東京23区jp)


新三和橋


平成24年(2012年)に完成した三和橋は、歩道部分も広く気持ちのいい橋ですね。


歩いてみると途中にベンチがあります。

はじめはこんなところ、座る人いるのかな?とおもっていたのですが、

三和橋の橋の由来を聞くと、ここで新中川が開墾される前の奥戸、細田、高砂に思いを巡らせることができるのじゃないかなぁ、と思うようになりました。


人工の川は、このあたりまっすぐですね。

次回この橋をわたる時は、ちょっと立ち止まってベンチで休んでみようかな。


そうそう、この三和橋、CMに使われていました。

どのあたりで出てくるか、探してみてくださいね。

2018年2月16日金曜日

[大人の葛飾の橋(2 細田橋)] 京成タウンバス小54に乗って稲荷神社バス停からエイトホール方面へ抜ける栄光の架橋だぁ!【細田橋】


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋。



2回めの今回は、「細田橋」です。



細田橋は、車道橋と人道橋が別れています。

1961年(昭和36年)の建設ですので、ちょっと古い感じがしますね。

実は、中川に架かる橋は現在架替計画が進んでいます。

区議会資料より
これをみると細田橋の架替は、2017年(平成29年)から工事が始まることになっていますが、まだ始まっていませんね。

前回の「大人の葛飾の橋(1)三和橋」でも紹介しましたとおり、高砂、細田、奥戸の皆さんの結束は強かったようですね。

おなじ農業を営み、おなじ東井堀の水を分け合ってきた仲だったのだと思います。

この地区に、中川放水路(新中川)が開墾されたのは1963年(昭和38年)のことでした。


1965年の細田橋です。

中川放水路が開通して2年しか経っていません。

その左に見える水たまりのような場所は、現在の奥戸総合スポーツセンターのある場所です。


現在の地図を見てみましょう。

実はこのエイトホール、野球場、テニスコートのある場所は、環七が近いもののとっても交通の便が悪いところです。

右端にある「稲荷神社バス停」は、小岩から亀有に抜ける京成タウンバスのバス停ですが、遠方から来る人達はここから、細田橋を渡って、スポーツセンターにいくことが多いようです。

まさに、細田橋は、スポーツセンターに訓練にいく人たちにとって、栄光の架け橋!なわけですね。


2017年4月26日水曜日

[大人の堀切] 土手より3.7メートルも低い荒川橋梁を見てきたよ【東京物語にも登場する橋】

荒川下流河川事務所HP




今日は記事長めです。読了に5分程度かかります。

目次



ネットニュースに荒川橋梁の記事がありました


先日ネットのニュースに、京成本線の荒川橋梁の建て替えが本格化してきた、という記事がありました。
【概算建設費は284億円】
 関東地方整備局荒川下流河川事務所は、東京都葛飾区~足立区間で計画している京成本線荒川橋梁架替事業の詳細設計を2017年度に終える予定だ。

詳細設計は足立区側分のみ残っており、近く京成電鉄に委託する。設計を終えた葛飾区側は17年度に用地調査(測量、家屋調査)を実施し、18年度以降、用地交渉に入る見通しだ。

(中略)

荒川と綾瀬川にまたがる現在の京成本線荒川橋梁は、堀切菖蒲園駅(葛飾区)~京成関屋駅(足立区)間にある。橋梁下の堤防は、周辺の堤防より約3.7m低く、洪水時に危険性が高い。  

このため同事務所は、現橋梁の北側に周囲の堤防より高い位置に長さ約1500mの新たな橋梁を架ける。架替工事や既存橋梁の撤去工事は京成電鉄に委託する。時期は未定。  

同局が15年10月の事業評価監視委員会で示した概算建設費は284億円。費用対効果試算のために設定した架替工事スケジュールは18年度の着工、24年度の完成となっていた。  (建設通信新聞)


記事の中の赤字の部分、気になりますよね。

葛飾区民にとって災害時の荒川の堤防決壊の危険は最小限にしてほしいところです。全体的にしっかりした堤防が作られても、この京成本線の荒川橋梁だけが3.7メートル低いのではそこから決壊する危険もあるのでしょう。

そんなに低かったっけ?

というわけで、橋を見に行ってきたよ。


京成本線荒川橋梁を見てきたよ


 堀切橋から京成本線の荒川橋梁を見たところ。

すでに車道の堀切橋から見下ろす感じになっていますね。

ちょうど京成線が綾瀬川に掛かる橋を渡っています。

先頭車両が土手の堤防のところにありますが、たしかに線路の左右は坂になっていて、堤防の高さが下げられちゃってますね。

荒川下流河川事務所HP
荒川下流河川事務所のホームページによると、堤防の高さより線路の高さが3.7メートル低いのですね。

しかし、なんで堤防より低いところに線路があるんだろ?

線路が堤防より低くなったわけ


①②荒川放水路、京成本線の完成

荒川放水路(現在の荒川)が完成したのが1930年。
開通直後の荒川鉄橋

京成本線(日暮里ー青砥)が開通するのは翌年1931年12月。

このときは堤防の上に線路があったのです。

③地盤沈下

しかし戦後の高度成長期、工場などでの地下水の汲み上げで荒川周辺は地盤沈下が進みました。

最大4.5メートル沈下したそうです。荒川堤防も京成橋梁も同じように沈下したため、鉄橋が水面スレスレになったこともあったようです。

④土手の堤防は嵩上げされたけど

その後、土手の堤防は嵩上げされていますが、鉄橋の高さを変えることは難しく現在に至っているんですね。

っていうことは、1931年からかけ替えられていない橋ってことか!

2018年2月27日火曜日

[大人の葛飾の橋(3 中川大橋)] 中川大橋も昭和初期までは、渡し船だったみたいだよ。


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋

今回は、中川大橋です。



国道6号(水戸街道)が中川を渡る橋です。


水戸街道とは、水戸徳川家はもとより、江戸時代に混雑する奥州街道を避けて江戸に入る東北からのルートとして栄えていました。

明治期には陸前浜街道と名前を変えます。


大正時代になって、自動車需要が増え、道路が直線化されていきます。

それにともない、旧街道の並木が切られるなど面影が失われていったようです。


ちょうど夕方に通ったのですが、橋の上は車でぎっしりでした。

葛飾区新宿は、江戸時代は水戸街道、佐倉道へと抜ける交通の要所(記事参照)でしたが、残念ながら今ではその面影もありません。



中川大橋は昭和8年(1933年)に掛けられた橋です。

この地図の赤い部分です。
国道6号には平地部を流れる河川が多いが、架橋されたのは大正時代から昭和初期までかかっており、川幅の短い河川を除けば、旧道路法が1919年(大正8年)に成立する以前は大部分が渡し船によって川を渡った。

架橋年は茨城県だけでも、鮎川橋(日立市・鮎川)は1927年(昭和2年)、榊橋(久慈川)は1930年(昭和5年)、銭亀橋(土浦市・桜川)は1934年(昭和9年)、大利根橋(利根川)が1930年(昭和5年)に架設されており、昭和初期が多い(wikipedia)
江戸名所百景より


旧道路法が誕生する大正8年(1919年)までは、国道に橋を架けるのが難しかったらしく、昭和8年までは中川も渡し船だったようですね。

江戸時代には、歌川広重も中川の景色を描いています。

新宿の宿場町をかすめるように国道6号線が通っていますね。


都心から金町に向かって橋を渡ったすぐのところに、日枝神社があります。


この地図の黄色いところです。

新宿の宿場町の鎮守様であり、山王大権現と呼ばれた神社です。

さすがに国道6号のルートも日枝神社を避けて通るしかなかったようですね。

橋から亀有方面を望む

現在の橋は、1988年に掛け替えられた二代目の橋です。

2018年9月17日月曜日

[大人のナンバープレート] 『葛飾版図柄入り新ナンバープレート』候補は8つ。気になるところまとめたよ



さて、葛飾区もいよいよ「地方版図柄入り新ナンバープレート」の候補が出そろいました。

地方によっては、もう図柄が決まっているところもあり、葛飾区も住民の意見を聞くところまで来ました。

このナンバープレート、区民として気になるところをまとめてみました。


  1. なんでこの図柄?
  2. 変更しなきゃいけないの?
  3. 変更は無料なの?
  4. いつから「葛飾」ナンバーになるの?
  5. どうしたら投票できるの?


なんでこの図柄?

図柄気になりませんか?

図柄採用までの流れを追ってみました。

お役所が、それも警察関連で「住民の意見を聞く」っていうのも珍しいなぁ、と思っていたら、この「地方版図柄入り新ナンバープレート」の採用には、以下の基準があるのでした。

【導入基準】
  1. 対象地域内の登録自動車の数が10万台を超えていること。
  2. 図柄入りナンバープレートをあわせて導入することを原則とする。
  3. 地域住民の合意形成が図られていること。
この3.の作業なんですね。

1.の10万台は超えているので問題ないとして、気になるのは2.の図柄ですね。

これにも採用基準基準がありました。

【図柄採用基準】
  1. その地域の特色を表現し、地域振興・観光振興に資するものであること。 
  2. ナンバープレートとしての視認性が十分確保されていること。 
  3. 地域住民の合意形成が図られていること。
ここにも、3.地域住民の合意形成ってあるんですね。

2.の視認性は、デザイン次第というところもあるでしょう。

問題は1.ですね。

その地域の特色を表現したデザインって、葛飾の場合なんですか?
思いつくまま挙げてみます。
  • 今回8図柄にある菖蒲
  • 中川
  • キャラクター(寅さん、キャプテン翼、リカちゃん、モンチッチ、こち亀などなど)
  • ほか
「ほか」って書きましたけど、あんまり思い浮かばないかも。。。

キャラクターのナンバープレートというと、昔葛飾でもバイクのナンバープレートに図柄がありました。


これ現在もチラチラ見ますけど、菖蒲しかみたことないなぁ。

キャラクターの使用には版権をクリアする必要があるのだと思います。

寅さん=松竹
キャプテン翼=集英社
リカちゃん=タカラトミー

無料で使えるわけではないでしょうから、私たちの税金をココに使うのは、個人的にはためらいますなぁ。

となると、オトカツ的には「菖蒲と川」というコンセプトの8銘柄は妥当なところかなぁ、と思っています。

ちなみに、8図柄の説明はこちら

1 帝釈天を囲むように広がる川や菖蒲、夕暮れの景色をシンプルに表現しました。
2 水辺に咲く菖蒲や川へ戻るカワセミ、とんがり帽子の取水塔を表現しました。
3 菖蒲やかつしかハープ橋などの川辺の景色、帝釈天をシンプルに表現しました。
4 取水塔の上に止まったカワセミが花火を見ている様子と川辺の景色を表現しました。
5 矢切の渡しを待つ女性や水辺に咲く菖蒲、カワセミを浮世絵風に表現しました。
6 江戸川・中川・荒川や水辺に咲く菖蒲、カワセミを表現しました。
7 葛飾ののどかな雰囲気を優しい印象になるよう表現しました。
8 菖蒲とカワセミを落ち着きのある和のテイストで表現しました。

ただ、もうちょっとポップな図柄、アピール性の高い図柄があっても良かったんじゃないなかぁ。

そんな気がします。

葛飾ナンバーに変更しなきゃいけないの?

区役所のホームページをみると、

Q 現在付いている「足立」ナンバーから「葛飾」のナンバーに変更しなくてはならないですか?
A 使用中のナンバープレートを強制的に変更するものではありません。
  「葛飾」のナンバーへの変更を希望した場合や、葛飾区で新規に自動車の登録する場合、葛飾区外から区内
   に自動車の所在を変更する場合等に「葛飾」のナンバーとなります。

となっていますね。

葛飾ナンバー変更は有料なの?

Q 「足立」ナンバーを「葛飾」のナンバーに変更する場合は無料ですか?
A 詳細は未定ですが、有料になる見込みです。
  〈参考〉
   東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会特別仕様ナンバープレート交付手数料
  ・登録自動車(大型番号標) 10,820円
  ・登録自動車(中型番号標)、軽自動車  7,210円

どうやら有料みたいですね。
追加記事あり→こちら

いつから葛飾ナンバーになるの?

今後、現在の足立ナンバーからの変更や、新規登録ナンバーはすべて「葛飾ナンバー」になるようですね。

平成32年(2020年)以降は、葛飾区では足立ナンバーの登録はできなくなるようです。

図柄、どれになるかなぁ。

5.どうしたら投票できるの?

9月15日号の広報かつしかに、投票用紙がありますね。

手元にない方は、こちらから印刷できます。

記入したら、

持参の場合 左上の回答フォーム(コピー可)に必要事項を記入し、10月31日(水)までに、区民ホール(区役所2階)や広報課(区役所2階211番)、各地区センターの回答箱に入れてください。
郵送・ファクスの場合 ハガキ(回答フォームを剥がれないように貼付するか、必要事項を直接記入)・ファクス(必要事項を直接記入)で、10月31日(水)(必着)まで。
 区内イベントでもアンケートを実施します。実施場所など詳しくは区ホームページ(トップ→区政情報→区役所の取り組み→地方版図柄入り新ナンバープレート)をご覧ください。

回答先
〒124‐8555
葛飾区役所広報課(区役所2階211番)
ファックス 5698‐1502

だそうです。


2017年12月29日金曜日

[大人の葛飾の橋] 葛飾区には、何本の橋があるでしょうか?2018年のシリーズは「葛飾の橋」です。


本奥戸橋

葛飾区は、水に囲まれた区ですね。

荒川

境川・小松川

中川

新中川

江戸川

大場川

古隅田川





これらの一部は暗渠ですが、地上の川には橋がかかっています。

さて、葛飾区にはいくつの橋がかかっているでしょうか。

Wikipediaによると、17本。

2018年は、この一本一本の橋の物語を追っていきます。

ところで、橋って何種類あると思いますか?

日本橋梁建設協会のホームページによると、5種類だそうです。


あなたの近くの橋は、どんな橋ですか?

2016年6月20日月曜日

[大人の一丁目一番地(10)] 金町浄水場1に行ってきたよ。浄水場から伸びる水道道の先はどこ?


今回の一丁目一番地は、金町浄水場1です。


ここは金町浄水場だけについている住所表記なので番地がありません。


金町浄水場とは



1926年に完成した、江戸川の水を引いて上水とする施設。


以前は「日本一まずい水道水」との烙印が押されたこともありましたが、1992年オゾンによる高度浄水処理が始まってから、東京の水は格段にうまくなりましたね。




金町浄水場は、東京都の上水のうち、


葛飾、足立、江戸川、江東、墨田、台東、荒川、北区の一部に供給しています。


かなりの広範囲ですね。


東京23区の1/3を占めています。



さて、葛飾区にはこの金町浄水場からまーーーーーっすぐ伸びる「水道道」があります。


右上の金町浄水場から、


高砂を抜け、


中川を渡り、


シンフォニーヒルズの前を通り、


立石の宮田ジムの前を抜け、


京成立石駅前の区役所通りを交差し、


京成押上線の線路を跨ぎ、


四ツ木の街を抜けて荒川にまで達する、


真っ直ぐな道です。


この道路の下に、上水道の水道管が通っているわけです。


1926年当時は、葛飾はまだ葛飾は田畑が多く、金町浄水場できれいにした水を江戸川の水を本所や上野方面に運ぶために真っ直ぐな道が作られていたようですね。


しかし、この水道管。


以前は中川と荒川を渡る際に、地下ではなく橋を使っていたようです。


この1970年の地図には、中川を渡る水道道が描かれています。


1990年頃までは、橋になっていました。


水道管が川を渡るための橋ですね。


場所は、青龍神社の池のあたりですね。



また、荒川を渡る橋は、名前が何故か「江戸川水道路」となっていますね。


これも1970年ごろまでは、水道管が川を渡る橋がありました。




いまでもバス停に残っていますね。



さて、この水道道は中川をわたってどこまで伸びていたのでしょうか?


水道局のHPには、金町浄水場から東京東部への上水の配給経路が示されていました。


これによると、墨田区に給水場があるとなっていますね。


葛飾の水道道の方角からして、ここに至る道があるのではないかと思い探してみましたが、正確に確認はできませんでした。




しかしながら、道なりや墨田区立花の北十間川にかかる福神橋に水道橋が併設されているのをみると、おそらくこの方角に伸びているようです。

2018年8月15日水曜日

[大人の防災] 葛飾区荒川洪水ハザードマップをダウンロードしよう!荒川の警戒は3日間500ミリの雨量


8月もお盆を過ぎて、夏も終盤ですね。



ここ数回、『東京防災』を読みながら、ゼロメートル地帯が広がる葛飾の防災を考えてきました。過去の記事はこちら


先日、葛飾区議の高木さんがFacebookで、ハザードマップについて書き込んでいました。

高木さんにお尋ねしたところ、とても迅速に郵送していただきましたので、今回はこのハザードマップをじっくり読んでみることにします。

ハザードマップってなに?
葛飾区に住む、ということは水害と隣合わせということです。最近は日本各地で豪雨などで川が氾濫してしまうニュースが続いていますが、葛飾区は太古の昔は海だったこともあり、何度も川の氾濫に悩まされてきました。

オトカツでも記事にしたことがありましたね。
[大人の災害] 今日はちょっと真面目な話題。葛飾にいると大雨はドキドキしますね。大雨で荒川決壊はあるのか?調べてみた。
このハザードマップは、葛飾区が水害に見舞われたとき、どんな被害が想定されてその時、区民はどうすればいいのかがコンパクトにまとめられているパンフレットです。

荒川洪水ハザードマップ



まずは、荒川洪水ハザードマップを見てみましょう。

このハザードマップは、「三日間に548ミリの大雨により、荒川下流域で堤防が決壊した」想定で作られています。このとことから、
荒川の大雨で警戒する基準は548ミリ
ということがわかります。天気予報を見るときの参考になりますね。

あなたの住んでいるところは、どの地域ですか?葛飾区は、荒川下流域が反乱したときの対応を3つの地域に分けて対策を立てています。
  • 荒川沿川地域:平和橋通り以西
  • 西部地域:平和橋通りと中川新中川の間
  • 東部地域 :中川新中川より東
うちは、かろうじて西部地域でした。平和橋通りで、荒川沿川地域と西部地域で別れていますが、平和橋通りが一段高いところにあり西部地域が安全というわけではなさそうなので、この平和橋通りという境界は便宜的な面が強いかもしれません。

荒川沿川地域は、どこに避難するか?


東部地域(新中川より東、千葉方面)の避難所に避難するよう書かれています。もちろん荒川を渡って押上、平井方面に避難するわけにはいかないですから、江戸川方面に避難するわけですね。

高齢者や要配慮者は、以下の4箇所が避難場所だそうです。
  • 総合スポーツセンター
  • アリオ亀有駐車場
  • リリオ駐車場
  • イトーヨーカドー四つ木駐車場
ん?イトーヨーカドー四つ木店は荒川沿川地域じゃないのかな~だいじょうぶなんだろうか?

西部地域はどこに避難するか?


西部地域の避難先は、市川市、松戸市、水元公園に避難するようになっています。水元公園って屋外?市川市、松戸市のどこに?ちょっと不安が残りますね。

東部地域はどこに避難するのか?

荒川洪水時には、東部地域はあまり浸水などの被害が想定されていません。そのため避難先は東金町運動場一箇所となっています。

葛飾区荒川洪水ハザードマップは、こちらからダウンロードできます。

ちなみに裏面は『中川・綾瀬川洪水ハザードマップ』になっています。

みなさん、一度確認しましょうね。


2018年5月14日月曜日

[大人の東新小岩] 平和橋通り「たつみばし交差点」の「たつみ(南東)」の方角は、どこを起点にしているのか?【教えて詳しい人!】

葛飾区に住んでいる方は、新小岩駅を利用しようと思ったら、かならずと言っていいほど渡る「たつみ橋」。

「たつみ」とは、「辰巳」「巽」とも書きます。

方位を十二支に当てはめた、南東の方角です。



辰巳と聞いて連想するのは「辰巳芸者」という言葉ですね(ですよね?)。

辰巳芸者とは、深川エリアで羽振りのいい材木問屋さんなどの集まりに呼ばれた芸者さんのことです。

江戸城から見た時深川が南東の方向にありましたので、「辰巳」と呼ばれたのですね。

では、新小岩の「たつみ橋」。

深川と違って、新小岩は江戸城より北東にありますので、起点は江戸城ではないようです。

では、たつみ橋の「たつみ」は、どこからみた南東なのでしょうか?


明治40年の地図でみるたつみ橋の位置はこの地図の右端の赤丸です。

平井村の田んぼのど真ん中ですね。

この交差点は道路ができる以前、西井堀という用水路が流れていました。

水元小合溜から葛飾を南西に下る用水路(西井堀)は、新小岩駅の西側をかすめ、荒川開削以前には東大島の方まで田畑を潤していました。

その西井堀に掛かる橋がたつみ橋だったのです。

その西側は、いまは荒川で東西に分断されていますが、それ以前は隅田川まで陸続きでした。

この地図にも荒川はありませんね。

たつみ橋を南西に臨むエリアに線を引いてみましょう。


左右の直線が東西の線。

そこから45度上がった緑の斜線が北東‐南西の線です。

たつみ橋を南西に臨む起点はどこだったのか?

緑の斜線を北東に上がっていくと、まずぶつかるのは上平井村です。


明治40年の上平井村です。

アイコンとなるような建物には、新小岩天祖神社、上品寺、圓成寺などがありますが、「決め手」となるような起点は見当たりません。

もう少し北東の方向を見てみても、実は「コレだ!」という起点は見当たらないのです。

オトカツが見た範囲でもっとも起点っぽいのは、これです。


木根川薬師です!

ちなみにこの地図は、1919年(大正8年)の地図です。

太く川のようになっているのは、開墾中の荒川。大正13年の通水なので、まだ水はありません。

木根川薬師が川のど真ん中にありますね。

1919年、この年に木根川薬師は現在の場所に移動しています。

たつみ橋とは、この木根川薬師を起点として南西方向なのではないでしょうか?

なぜ木根川薬師?

えっと、理由はないんです。

直感。。。。。


ちなみに、葛飾区史編さんだより新小岩地区では、「起点は小菅県の小菅御殿ではないか」としていますが、これもまた理由は不明ですね。

詳しい人教えて下さーい!

2016年6月10日金曜日

[大人の災害] 今日はちょっと真面目な話題。葛飾にいると大雨はドキドキしますね。大雨で荒川決壊はあるのか?調べてみた。

葛飾区郷土と天文の博物館HPより

Huffington Postの記事

ネットニュースのHuffington Postは年末の記事で、こう記しています。

東京に迫る"荒川決壊"の危機 1400万人に影響も

(記事引用)
内閣府による荒川決壊の想定雨量は72時間で550ミリ。鬼怒川が決壊した東日本豪雨災害では72時間で610ミリの雨が降っているのだから、いつ起きてもおかしくない雨量だ。
決壊からわずか30分で、あっという間に濁流は街を飲み込み、2キロ先まで浸水してしまう。さらに氾濫した濁流が他の河川に流れ込むことで浸水範囲は加速度的に拡大し、わずか2時間足らずで決壊地点から5キロ離れた場所まで押し寄せるのだ。そのときの水深は最大5m近く。

相変わらずセンセーショナルな記事で不安を掻き立てますが、荒川と江戸川の間に挟まれた葛飾区に住むわれわれにとっては他人事ではないですね。

実際に荒川決壊は起こるのでしょうか?




東京都と埼玉県の雨量

内閣府による荒川決壊の想定雨量は72時間で550ミリ

72時間で550ミリと言われても、ピンと来ないですねぇ。


そこで、実際に「アメダスの降雨量ランキング」 から、東京都の水量を抽出してみました。

観測所 降水量 開始日時 終了日時
小沢 507 2007年09月04日07時 2007年09月07日06時
小沢 591 2001年09月08日14時 2001年09月11日13時
小河内 639 2001年09月08日15時 2001年09月11日14時
小河内 694 2007年09月04日06時 2007年09月07日05時
大島 824 2013年10月15日09時 2013年10月16日07時

ちなみに「小沢」とは東京都西多摩郡檜原村のことです。また、「小河内」とは東京都西多摩郡奥多摩町のことです。


いずれも、東京の山奥か太平洋の島の数値ばかりですね。


それもそのはず、アメダスの都内の観測点のほとんどが山奥か島になっているからなんです。


それに考えてみたら、江戸川も荒川も隅田川も上流に遡れば埼玉県です。


そこで埼玉県の過去の水量を抽出して見ました。

観測所 降水量 開始日時 終了日時
三峰 544 2007年09月04日22時 2007年09月07日21時
浦山 554.5 2011年09月01日04時 2011年09月04日03時
三峰 577 2001年09月08日15時 2001年09月11日14時
浦山 604 2007年09月04日20時 2007年09月07日19時
浦山 741 2001年09月08日15時 2001年09月11日14時


こちらの地名は「裏山」「三峰」ともに秩父市です。






一見、浦山も三峰も葛飾区に関係なさそうですが、地図を辿ってびっくり!


いずれも荒川の上流じゃないですか。


そしていずれの記録も、500ミリを超える降水量。


これらすべてが荒川に流れるわけではないでしょうけど、秩父から荒川を下って行くと入間川とも合流していますし、なんとも危なっかしい水量を抱えている川であることがわかります。


72時間で550ミリもまんざら超えない数値ではなさそう。要注意ですね。



そして荒川は、戸田の競艇場あたりを過ぎると赤羽駅のそばで、岩淵水門を迎えることになります。




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岩淵水門の役割


岩淵水門は、葛飾区民にとって大事な水門です。


結論から申し上げて、岩淵水門が開いているか閉まっているか、台風の時などはいつも気にしておく必要があります。


岩淵水門は、荒川と隅田川の分岐点にあります。


大雨の際に、隅田川に流れ込む水量をコントロールするためにある水門です。


隅田川沿いの街を水害から守るために作られた水門と言ってもいいでしょう。荒川沿いの街を守る水門ではありませんのでご注意。


では、隅田川に流れ込まなかった水はどこにいくのか?


上流からの大量の水量を伴ってそのまま荒川に流れることになります。


国土交通省としては、都心に近い地域から守っていくという計画なのでしょう。




荒川の災害対策
荒川の決壊について国土交通省は、5つのケースを想定しているようです。
  1. 元荒川左岸の決壊(大宮台地)
  2. 荒川左岸低地氾濫(大宮台地)
  3. 入間川合流地点上流氾濫
  4. 荒川右岸低地氾濫(入間川合流から旧綾瀬川あたりまで)
  5. 江東デルタ貯類型氾濫(旧綾瀬川から下流域)

このうち葛飾で心配になるのは、2です。荒川左岸が決壊した場合、被害人口が100万にを超える災害を想定しています。


葛飾では水元から南、中川までが浸水します。




荒川下流河川事務所のホームページには、4つの対策がのっています。

  • 堤防強化対策
荒川下流部の堤防は、河川水や雨水による浸透に対する安全性が不足している区間が約21kmあり、台風などにより大雨や洪水が発生した場合には、浸透により堤防が決壊する恐れがあります。早期に堤防の浸透に対する安全性の向上を図るため「堤防強化対策」を行っています。

  • 高規格堤防整備事業
高規格堤防は、現在整備されている堤防の計画規模を超えるような極めて大きな洪水が発生した場合でも、堤防が決壊することを防ぎ、洪水の氾濫により沿川市街地に壊滅的な被害を引き起こすことがないよう従来よりも幅の広い堤防の整備を行う事業です。
  • 中堤改築
中堤の護岸の老朽化対策と堤防の嵩上げにより、洪水・高潮に対する安全性の向上を図ります。
荒川左岸堤防の下流部(0~7k区間)は、通称「中堤」と呼ばれ、荒川と中川の川の流れをスムーズにするほか、中川左岸堤防と相まって高潮防御機能を有する重要な堤防です。
  • 京成本線荒川橋架替
京成本線荒川橋梁付近の堤防は低い状態にあります。増水時には水が溢れて堤防が決壊する危険性があるため橋を架け替え、流下能力を向上します。


いずれも、完成をしているものではありません。


今後も治水対策には目が離せませんね。