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2018年2月28日水曜日

[大人の葛飾の橋(4 奥戸新橋)] 新金線のルートには、変更された歴史が!奥戸新橋は旧新金線の線路上にあった


今回は奥戸新橋です。



新中川の上流に、新宿と書いて「にいじゅく」がありますが、この新橋はそのまま「しんばし」です。


奥戸は、面積が広いわりには、橋が多くありません。

本奥戸橋
奥戸橋
奥戸新橋
そして八劔橋

東新小岩のオトカツとしては、本奥戸橋と平和橋の間に橋がひとつ欲しいところですね。

さて、奥戸新橋です。

奥戸新橋は、奥戸街道に掛かる橋です。

この端を東に抜けると、江戸川区に入り、蔵前橋通りと合流します。

この橋も、他の新中川に掛かる橋と同様、昭和36年(1961年)に完成しています。

スパイラルマリーナ

この橋の下流側には、ヨットを停泊できる「スパイラルマリーナ」があります。

新金線旅客化の際には、駅ができる計画があります。

ここからなら、東京湾もすぐそこですね。


振り返って、橋の上流川を見てみましょう。


この地図の青い線の道路ですね。

やけにきれいな曲線を描いてますね〜。

こういう道路は、アヤシイ(笑

調べてみましょう。


左は昭和5年の地図にある新金線の線路です。

まだ新中川がありませんね。

右は現在の新金線。

大きく膨らんでいますね。

新中川を開墾する際、鉄橋部分の距離が長かったことから、新金線のルートから変更したようですね。


そして、もともとあった線路の土地は、道路として現在残っています。

ということは!

奥戸新橋は、新金線旧ルート上にあるというわけですね。

2018年2月27日火曜日

[大人の葛飾の橋(3 中川大橋)] 中川大橋も昭和初期までは、渡し船だったみたいだよ。


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋

今回は、中川大橋です。



国道6号(水戸街道)が中川を渡る橋です。


水戸街道とは、水戸徳川家はもとより、江戸時代に混雑する奥州街道を避けて江戸に入る東北からのルートとして栄えていました。

明治期には陸前浜街道と名前を変えます。


大正時代になって、自動車需要が増え、道路が直線化されていきます。

それにともない、旧街道の並木が切られるなど面影が失われていったようです。


ちょうど夕方に通ったのですが、橋の上は車でぎっしりでした。

葛飾区新宿は、江戸時代は水戸街道、佐倉道へと抜ける交通の要所(記事参照)でしたが、残念ながら今ではその面影もありません。



中川大橋は昭和8年(1933年)に掛けられた橋です。

この地図の赤い部分です。
国道6号には平地部を流れる河川が多いが、架橋されたのは大正時代から昭和初期までかかっており、川幅の短い河川を除けば、旧道路法が1919年(大正8年)に成立する以前は大部分が渡し船によって川を渡った。

架橋年は茨城県だけでも、鮎川橋(日立市・鮎川)は1927年(昭和2年)、榊橋(久慈川)は1930年(昭和5年)、銭亀橋(土浦市・桜川)は1934年(昭和9年)、大利根橋(利根川)が1930年(昭和5年)に架設されており、昭和初期が多い(wikipedia)
江戸名所百景より


旧道路法が誕生する大正8年(1919年)までは、国道に橋を架けるのが難しかったらしく、昭和8年までは中川も渡し船だったようですね。

江戸時代には、歌川広重も中川の景色を描いています。

新宿の宿場町をかすめるように国道6号線が通っていますね。


都心から金町に向かって橋を渡ったすぐのところに、日枝神社があります。


この地図の黄色いところです。

新宿の宿場町の鎮守様であり、山王大権現と呼ばれた神社です。

さすがに国道6号のルートも日枝神社を避けて通るしかなかったようですね。

橋から亀有方面を望む

現在の橋は、1988年に掛け替えられた二代目の橋です。

2018年2月16日金曜日

[大人の葛飾の橋(2 細田橋)] 京成タウンバス小54に乗って稲荷神社バス停からエイトホール方面へ抜ける栄光の架橋だぁ!【細田橋】


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋。



2回めの今回は、「細田橋」です。



細田橋は、車道橋と人道橋が別れています。

1961年(昭和36年)の建設ですので、ちょっと古い感じがしますね。

実は、中川に架かる橋は現在架替計画が進んでいます。

区議会資料より
これをみると細田橋の架替は、2017年(平成29年)から工事が始まることになっていますが、まだ始まっていませんね。

前回の「大人の葛飾の橋(1)三和橋」でも紹介しましたとおり、高砂、細田、奥戸の皆さんの結束は強かったようですね。

おなじ農業を営み、おなじ東井堀の水を分け合ってきた仲だったのだと思います。

この地区に、中川放水路(新中川)が開墾されたのは1963年(昭和38年)のことでした。


1965年の細田橋です。

中川放水路が開通して2年しか経っていません。

その左に見える水たまりのような場所は、現在の奥戸総合スポーツセンターのある場所です。


現在の地図を見てみましょう。

実はこのエイトホール、野球場、テニスコートのある場所は、環七が近いもののとっても交通の便が悪いところです。

右端にある「稲荷神社バス停」は、小岩から亀有に抜ける京成タウンバスのバス停ですが、遠方から来る人達はここから、細田橋を渡って、スポーツセンターにいくことが多いようです。

まさに、細田橋は、スポーツセンターに訓練にいく人たちにとって、栄光の架け橋!なわけですね。


2018年2月8日木曜日

[大人の葛飾の橋(1 三和橋)] CMにも登場した三和橋の物語。橋の名前の由来を知っていますか?



年末にお話しました、2018年のブログ企画「葛飾の橋」第1回目です。

今回は、新中川を細田で渡る「三和橋」です。

新中川は、戦前より放水路として計画されていましたが、戦後カスリーン台風の被害から再度開墾が再開され、1963年に開通した川です。

江戸川区地域の工事が遅れたため、三和橋が掛けられたのは川の開通より早く1961年(昭和36年)のことでした。


これは1947年(昭和22年)の地図に、現在の地図を重ねたものです。

右下に流れる青い線が、現在の新中川です。

新中川の建設

昭和13年の大水害、昭和22年のカスリーン台風、昭和24年のキティ台風。

水をうまく下流に逃がすことができなかったことから防げなかった足立区、葛飾区、江戸川区の大水害を受け、14年の歳月をかけて突貫工事でできた新中川。

おかげで、中川や荒川に掛かる負担は減り、大きな水害はほとんど発生しなくなっています。

しかし新中川の建設により犠牲になったものも少なくありませんでした。

地域の犠牲

新中川は、田畑が広がる足立、葛飾地域はもとより、人口密度の高い小岩周辺から下流域では、大規模な補償と転居を余儀なくされています。

田畑が広がっていた葛飾東部でも、地域住民への負担と不安は広がっていたことと思います。

いままで、水元小合溜から流れ出る東井堀という細い用水路しかなかったところに、最大幅143メートルの巨大放水路ができる。

田畑を売らなければならなかった人、住んでいた場所を移転しなければならなかった人などがいました。

この地域で農業を営む住民の間には、昔からある東井堀の水で共存してきたという気持ちが強かったのでしょう。


橋の名前

巨大放水路の建設が必要なことはわかる。

しかしそれでは地域が分断されてしまう。

奥戸、高砂、細田の、放水路流域の住民は、コミュニティーが分断されることを危惧したのでしょう。

この流域住民は、放水路ができたあとに掛かる橋に、三つの地域が融和するコミュニティが形成されるようにとの願いを込めて「三和橋」と名付けたといいます。

もしかして、思いのほかこのエリアの住民は仲が良かったのかもしれませんね。


橋の掛け替え


1961年(昭和36年)に掛けられた橋の写真が、橋のたもとの碑にありました。

人道橋と車道橋の二本がありますね。

人道橋は1972年(昭和47年)に増設されて、車道橋と分けられたようです。

旧三和橋が掛けられてから40年近くたった2000年(平成12年)には「三和橋橋づくり協議会」が発足し、橋の掛け替えプロジェクトに住民の意見を反映させています。

具体的に工事は、平成15年(2003年)から平成24年(2012年)まで工事が行われました。

100メートルを超える長大橋と呼ばれる橋は、河川区域の工事が大変で、梅雨や台風の時期には工事ができないそうです。


また、交通量が多く、旧三和橋を通行止にせず、横に新三和橋を建設したことも時間の掛かった理由かもしれません。(参考:東京23区jp)


新三和橋


平成24年(2012年)に完成した三和橋は、歩道部分も広く気持ちのいい橋ですね。


歩いてみると途中にベンチがあります。

はじめはこんなところ、座る人いるのかな?とおもっていたのですが、

三和橋の橋の由来を聞くと、ここで新中川が開墾される前の奥戸、細田、高砂に思いを巡らせることができるのじゃないかなぁ、と思うようになりました。


人工の川は、このあたりまっすぐですね。

次回この橋をわたる時は、ちょっと立ち止まってベンチで休んでみようかな。


そうそう、この三和橋、CMに使われていました。

どのあたりで出てくるか、探してみてくださいね。

2018年1月2日火曜日

2018年あけましておめでとうございます。本年もオトカツをよろしくお願いします。


かつしかのお店紹介

ここはいままでどおり、葛飾の気になるお店に行きますよ!
今年はカフェにも行きます。



かつしかの橋

2016年「一丁目一番地
2017年「区境を行く
につづく、2018年シリーズは「かつしかの橋」です。
葛飾区にある17本の橋を、エピソードとともに紹介します。

わが町葛飾かをひと回り面白くする「カツシカーン」

オトカツが主宰する「カツシカーン」では、「わが町葛飾をひと回り面白くする」をテーマに活動しています。
試行錯誤ではありますが、2018年は毎月ひとつ、なにかをしていきます。

区民の力で走らせたい「新金線のいま!」

新金線?って思った方。このビデオみてください。


いま、葛飾区の南北を結ぶ「新金線」の実現性が検討され始めています。

そして、それを後押ししよういう区民の活動も活発になってきています。

2018年は、そんな新金線のようすも追っかけていきます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

2017年12月29日金曜日

[大人の葛飾の橋] 葛飾区には、何本の橋があるでしょうか?2018年のシリーズは「葛飾の橋」です。


本奥戸橋

葛飾区は、水に囲まれた区ですね。

荒川

境川・小松川

中川

新中川

江戸川

大場川

古隅田川





これらの一部は暗渠ですが、地上の川には橋がかかっています。

さて、葛飾区にはいくつの橋がかかっているでしょうか。

Wikipediaによると、17本。

2018年は、この一本一本の橋の物語を追っていきます。

ところで、橋って何種類あると思いますか?

日本橋梁建設協会のホームページによると、5種類だそうです。


あなたの近くの橋は、どんな橋ですか?