「東京23区格差」のウラ側 〜足立・葛飾・江戸川「下町三兄弟」の幸せな毎日

東京23区はまるでひとつのクラスのようで、カネ持ちセレブや秀才がいれば、ヤンチャもいるし、できない子もいる。でも、他人に勝つだけが人生じゃない。三兄弟は、そのことをよく分かってる。

スタバはないけど

2月のある昼下がり、江戸川区小岩の駅前には、のどかな陽光が降り注いでいた。どの町にもある牛丼屋や携帯電話ショップに混じって、ひなびたアーケードには個人商店もまだまだ残っている。
ある婦人服店の軒先には、ダウンのコートがぎゅうぎゅうに吊り下げられ、赤いマジックペンで「3000円」と書かれた値札が風に揺れていた。店主の老婦人がこう話す。
「安いでしょ。古着じゃありませんよ。みんな新品です。問屋から安く買ってきて、利益はほんのちょっとだけ。儲からなくたっていーのよ。
消費税が8%に上がっても、値上げしてません。とてもじゃないけど、お客さんからは取れませんから。とにかく安くしないと悪いでしょ。少しくらい辛抱しなくちゃね。
あらま、さっきのお客さん、商品忘れて帰っちゃった。ちょっと店番しててくれる?追っかけて渡してくるから。常連さんなんだけど、ボケてきちゃったのかしら」
そう言うと、彼女は初対面の記者に店を託して、走り去ってしまった。
商店街を抜け、駅から離れるにつれて、「何でもご相談ください」と書かれた質屋の看板や、ショッキングピンクで彩られた「タイ式マッサージ」といった看板が目につくようになる。
銀色のグリルをギラリと光らせながら、足立ナンバーの黒いミニバンが、「ブルン!ブルン!」と排気音も高らかに通り過ぎていった。ブロック塀に貼られた政党のポスターが、半分はがれて揺れている。
道の突き当たり、芝の土手を登ると、一気に視界が開けた。東京であることを忘れそうな広い空に、川面がまぶしい。目の前を流れる江戸川の向こうは、もう千葉県だ。
東京23区には、多くの都民が「そういえば行ったことがない」そして「正直に言って、あまり行きたいと思わない」と口を揃える場所がある。それが、東京都の東端にまるで防波堤のように陣取る、北から足立・葛飾・江戸川の3つの区、すなわち「下町三兄弟」である。
地方に住む人には、東京、しかも23区内ならばどこもそう大差ないのではないか、と思う人もきっと少なくないだろう。しかし都民の間では、23区には歴然たる格差がある。
この「下町三兄弟」は、他の区から「あの辺はもはや千葉でしょ」と、東京扱いしてもらえないことすら日常茶飯事の、哀しい地域なのだ。
特に六本木、麻布といった成金タウンを擁する港区や、ベンツやポルシェばかり走り回る目黒区などの住民は、「北千住なんか、昭和のヤンキーの巣窟」「葛飾? 寅さん以外に何かある?」「江戸川って、どうやったら行けるの?」と、好き放題言っている。
事実、葛飾区は地下鉄が通っていない「陸の孤島」といまだに言われるし、今どきどの県にもあるスターバックスコーヒーは、江戸川区にはなぜか出店していない。

呑んで、寝ちまう

今回、本誌記者はこれら3つの区を自らの足で歩いて、住民たちの話を聞いた。はたして足立・葛飾・江戸川に住む人々は、本当に格差の下側の世界で、不遇をかこって暮らしているのだろうか——。
まずは、最も気になるのが台所事情。'12年度の総務省の調べによると、東京都内でトップの港区民の年間平均所得が900万円を超えているのに対し、最下位の足立区は323万円と、ほぼ3分の1。23区の西側を代表する住宅街の杉並や世田谷と比べても、150万円ほど差をつけられている。
ちなみに、葛飾区民の平均所得は下から2番目の330万円、江戸川区が下から5番目の347万円である。お世辞にも、「カネ持ちエリア」とは言えない。
こうした懐具合を反映して、当然のことながら物価は安い。冒頭に紹介した婦人服店の「コート1着3000円」も、ユニクロなんて目じゃないほどの安さだ。足立区北千住の街角にいた、50代男性が言う。
「あまり知られていませんが、イトーヨーカドーの1号店はこの近くにある北千住店なんですよ。もっとも、足立区民にはイトーヨーカドーよりも、その廉価版の店舗にあたる『ザ・プライス』のほうが親しまれています。1号店ですら、何年か前に『ザ・プライス』に衣替えしましたからね」
実際に『ザ・プライス』北千住店に足を運んでみると、コシヒカリ5㎏が1000円強、鶏もも肉100gが87円、牛乳1Lパック157円などなど、都内としては確かにかなり安い。
「他にも足立には、竹ノ塚駅の近くにある『さんよう』や『おっ母さん』など、ご当地の激安スーパーがいっぱいありますよ」(前出・50代男性)
商店街も元気だ。葛飾区新小岩駅の南口を出ると、真正面に口を開けるのが、全長400mを超える大アーケード「ルミエール商店街」。その中にある八百屋の店先で、段ボール箱に山と積まれた泥付きの野菜は、キャベツ1玉78円、ほうれん草1束98円など、やはり23区内とは思えない赤札価格だ。60代の女性客が言う。
「このお店には、毎日来てますよ。主人には7年前に死なれたんだけど、商店街に来れば顔見知りがいっぱいいるし、一人でもさびしくないの。年金暮らしだから贅沢なんてできないけどね、この商店街はどこも安いから大丈夫。それに買い物に出かけると、歩いて、笑って、人と話すでしょ。だから健康にもいいのよ」
下町におけるもうひとつの「人間交差点」は、至るところに店を構える銭湯だ。入り口の唐破風が立派な千住のとある銭湯は、まだ日のあるうちから、近所の住民たちで大賑わい。脱衣所には、テレビをぼんやり眺める人、眉根を寄せて新聞を熟読する人、手拭いで真ん丸いお腹をパチン、パチンとリズムよく叩いている人……。
「オレが子供の頃は、この辺にはもっといっぱい銭湯があったよ。家に風呂なんかなかったからね。まあ今は家にも風呂はあるけどさ、オレはこっちのほうがいいんだな。番台のババアとも古馴染みだしな。
最近は、知り合いがどんどん死んでくのが悲しいね。だからサッと風呂入って、酒呑んで早く寝ちまうんだ」(70代男性)

少子化? どこの話?

カネ持ちこそあまり住んでいない足立・葛飾・江戸川だが、意外と有名企業もある。
前出の50代男性が教えてくれたイトーヨーカドー以外にも、今は港区青山に本店を構えるお菓子メーカー・ヨックモックも足立が発祥の地。現在は合併したおもちゃメーカーのタカラとトミーなど、葛飾区にはプラスチック系のメーカーが数多く残る。古くから住んでいる住人には、こうした工場勤めの人々が多い。大田区や板橋区と並ぶ町工場の集積地帯なのだ。
有名人もちゃんといる。俳優の故・蟹江敬三や元モーニング娘。の後藤真希は江戸川区出身。ビートたけしや元キャンディーズのスーちゃん(故・田中好子)、またNHKの朝ドラ『あさが来た』で主演を務める女優の波瑠は、足立区出身である。
一方で、学歴や社会的ステータスという点で言うと、文京区や世田谷区などの住民はおよそ半数が大卒なのに比べ、「下町三兄弟」の大卒者の割合は2割前後と23区で最低。同じく、管理職や会社役員の割合も、最も少ないといわれている。
さらに、昔から「ガラの悪い地域」と見られがちな東京東部にあって、とりわけ足立区の刑法犯認知件数は、'06年〜'09年のワースト1位だった。葛飾区はまだしも、江戸川区も足立区とほぼ同等の「犯罪多発地域」とされている。江戸川区小岩の飲食店で働く、20代女性がこう告白する。
「私は生まれも育ちもこの近所ですけど、夜道を歩いてると、正直怖いときもあります。居酒屋が多いから、酔っ払いも多いでしょ? この前もそこで『ちょっと、ちょっと』と声をかけられて、振り向いたらおじさんがアソコを出してニヤニヤしてました。マジでキモくないですか?」
今となっては、山手線の内側や、杉並・世田谷などのいわゆる「山の手」に住む人々の間では、
「足立ナンバーの車が割り込んで来たら、ヤンキーだからすぐ譲るべし」
「いまだに小岩のコンビニには、パンチパーマのチンピラがウンコ座りでタバコを吸っている」
「足立区にある公園に行ったら『池に犬を投げ込まないでください』と書かれた立て看板があった」
などといった「都市伝説」まで、まことしやかに語られる始末だ。
しかし、東京23区の様々なデータを綿密に調査して話題の、『23区格差』(中公新書ラクレ)を著した池田利道氏は、「今や、そうしたイメージは当たりません」と話す。
「実はここ数年、都内で最も犯罪件数が多いのは、一般的には静かな高級住宅街と思われている世田谷区です。また、面積あたりの件数で言えば新宿区がダントツに多い。一方で、足立区の犯罪件数は減っているのです。
治安の悪さを揶揄するような噂は、住民の『自虐』も含めて、面白おかしく語られているだけというのが実情ではないでしょうか」
こんな興味深いデータもある。日本で最も出生率の低い東京都の中でも、全国平均と遜色ない出生率を誇るのが足立・葛飾・江戸川なのだ。
足立区立第十四中学校は生徒数850人以上と、この少子化の時代にあっては異例のマンモス校。江戸川区にも、700人越えの中学校が珍しくない。前出の池田氏が解説する。
「足立・葛飾・江戸川の3区について特筆すべきは、東京の他の区とは『家族のあり方』が全く違うということでしょう。
若者も高齢者もひとり暮らしが少なく、子持ち世帯や3世代同居の世帯が他区に比べて圧倒的に多い。決して家の面積は広くないのに、1世帯の人数が多いんです」
確かに、葛飾区四つ木などの荒川の土手下、いわゆる「海抜0m地帯」には意外にもマンションやアパートは少なく、心なしかこぢんまりとはしているものの、戸建ての家ばかり建ち並んでいる。軒先にチャイルドシートが取り付けられた自転車が停まっている家も少なくない。
「足立・葛飾・江戸川の3区は、東京の中でも最後のほう、'60年代以降に開発された区です。今もこの3区には鉄道があまり乗り入れていませんが、昔はもっと少なくて、足立には東武伊勢崎線、江戸川には国鉄総武線しか通っていない時代がありました。つまり、もともとは東京都市圏に含まれていなかったわけです。
しかもこの一帯は、以前は田んぼとして使われていた。米作りというのは一人の力ではできません。家族のみならず、近隣の人とも助け合わないと成功しない。そうした風土が無意識のうちに受け継がれているから、ご近所や家族のつながりが密で、子育てもしやすい環境が残っているのだと思います」(前出・池田氏)

まさに、住めば都

葛飾区の京成立石駅周辺は、言わずと知れた居酒屋密集地帯だ。店によっては、昼過ぎから早くも杯を傾けるオヤジたちがいる。近年は若者にも人気の「コの字カウンター」の店は、宵の口ともなれば老若男女がぎゅうぎゅう詰め。中には子連れの客さえいるが、子供も一緒になって店自慢の「煮込み」をつついているから微笑ましい。
ある居酒屋の、60代の男性店主が言う。
「この辺りにはね、人情ってのが生きているでしょう。浅草(台東区)みたいに、内心はお高くとまってるような『人情』じゃなくて、お節介というのかな。困っている人がいたら見て見ぬふりはできないっていう、そういう人情ですよね。どんなに東京が変わっても、ここだけは変わらないでいてほしいよ」
また、前出の、小岩に住む飲食店勤務の20代女性は、「イヤなこともいっぱいあるけど……」と前置きしてこう続けた。
「でも私、この町がやっぱり好きなんですよ。渋谷で別のバイトが終わって、小岩駅で降りたら『ああ、帰ってきた』ってホッとしちゃうんです。面白いところなんか全然ないし、道にゴミはいっぱい落ちてるし、古い店ばっかりなんだけど……どうしてなんですかね?」
カネや地位なんてなくても、見栄を張らなくても、この町でなら生きていける。東京砂漠の東には、「下町三兄弟」というオアシスがある。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48043

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