2016年7月30日土曜日

[大人の葛飾有名人] 『グイン・サーガ』の栗本薫(中島梓)は青戸出身。


『グイン・サーガ』で有名な作家の栗本薫さんは、1953年青戸生まれ。



早稲田大学卒業後、1978年『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞。


1979年から『グイン・サーガ』刊行開始。


1981年吉川英治文学賞新人賞。


長唄、小唄、清元、津軽三味線の名取でもあります。

2016年7月29日金曜日

[大人の一丁目一番地(14)] 奥戸1-1に行ってきたよ。昔の奥戸は船着き場を中心とした水運の町



今回の一丁目一番地は、奥戸です。




いまでも結構広い。


「奥戸一丁目一番地」は、この地図の左のはじっこです。


奥戸1-1近景


このあたりは中川のの堤防沿いで、桜並木がきれいな静かなエリアですね。



奥戸の「戸」は「出入り口=船着場」という意味(岩波古語辞典)のようです。


万葉集にもこの奥戸を歌った歌ではありませんが、「君が船、こぎ帰り来て、戸に泊つるまで」という歌もあります。


実際に昔の地図を見てみると、いまの総合スポーツセンターのあたりがその船着場だったようですね。


総合スポーツセンターのできる前は湿地帯だったはずですので、ここが船をつけるのにはちょうどよかったのかもしれません。


まさに川の「奥」の「戸」だったのですね。


このあたりの村から湿地帯の船着き場に行こうとすると「奥戸天祖神社」があります。


川の交通の安全を、この天祖神社で祈願してから船に乗ったのかもしれませんね。


さて、もうちょっと古地図を広く見てみましょう。


じつは明治時代の奥戸村は、むちゃくちゃ広い。


wikipediaにも

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の全域と、以下の2村の各一部が合併して奥戸村が発足
と書かれています。


地図で見ると


この赤で囲った地名はすべて「奥戸村」。


ざっくり言って、中川の南はほとんど奥戸村だったのですね。


平和橋通りも、蔵前橋通りも、新中川も、そしてもちろん京成電車も環七も無かった時代の奥戸村。


水元からの用水路が何本も通り、水の潤う町。


そのころは、スポーツセンターのあたりの船着き場を中心とした水運の町だったに違いありません。

2016年7月28日木曜日

[大人の青戸] バチバチチリチリな石鍋で丼ものが食べられる「新新飯店」で中華丼を食らう。


昨日は夕飯を食べそこねたので、新新飯店でさくっと食べてきました。


お店は青砥駅前すぐ。





改札出て右の階段を降りきったら、もう左手に煌々と輝く「新新飯店」のファザード。


赤い色がなんとも艶めかしくて、空腹に耐えられずにお店に飛び込んでしまいました。



ふうつに食べるなら、この看板のように、丼+麺で880円のセットがいいのでしょう。


この日は夜遅く、もう寝る直前でしたので、単品の中華丼を頼みました。



ここの丼ものの特徴は、石焼鍋に盛られて入ってくるんです。


運ばれてきた時には、鍋がバチバチチリチリいってます。


石鍋がいつまでも熱いので、中華丼も最後まで熱いままいただけます。


味付けも甘くなく、とってもさっぱりいただけます。


お店によっては、ご飯が多くて具が少ないこともありますが、新新飯店はご飯:具が5:5ぐらい。


良心的でしょ。

おすすめ。

新新飯店 青砥駅前店
新新飯店 青砥駅前店
ジャンル:中国東北料理
アクセス:京成本線青砥駅 徒歩1分
京成押上線青砥駅 徒歩1分
住所:〒125-0062 東京都葛飾区青戸1-10-1 あわのすビル1F(地図
周辺のお店のプラン予約:
うぇるかむ 三十三段屋 のプラン一覧
ROYAL GURKHA のプラン一覧
京都 丹波黒地鶏かずき 梅島店のプラン一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 亀有・青砥×中華料理
情報掲載日:2016年7月28日

2016年7月27日水曜日

[大人の葛飾有名人] なぎら健壱は金町中学、本所工業高校出身だけど、お生まれは銀座。



1952年銀座木挽町生まれ


小学校3年生の時、金町に転居。末広小学校へ転校


金町中学校卒業



本所工業高校(現葛飾総合高校)卒業


1970年中津川フォークジャンボリー参加


1972年デビュー


下町のイメージが強いですが、お生まれは銀座。


「瓶ビールの似合う人」などと言わるそうですが、たしかにどことなく下町の居酒屋にいそうな風貌ですね。


日本のフォークミュージック史に詳しいです。NHK FMで毎週戦後のフォークの歴史を語っていらっしゃいました。


日本フォーク私的大全 (ちくま文庫) なんていう本も出されています。


ギターの腕前もじつは(失礼)すごくて、カーター・ファミリーピッキングが弾ける数少ない方だそうです。


2016年7月26日火曜日

[大人の新小岩] マスコミにも取り上げられた「牛や」が、新小岩南口繁華街のど真ん中にリニューアルオープン「肉屋食堂たけうち」


新小岩北口平和橋通り沿いにあった「牛や」さんが6月末に移転のため閉店となり、7月初旬この南口繁華街のどまんなかに新店舗を構えました。



名前も新たに「肉屋食堂たけうち」。


北口「牛や」のころは、さまざまなグルメ番組も取材に来る人気店で、カウンター10席のみの狭く暗い店はいつもお客さんでいっぱいでした。


お店のおじちゃんもおばちゃんも、いつも「いらっしゃいませ!」と大きな声で出迎え、気さくに話しかけてくれるアットホームなお店でした。


その繁盛店が新店舗です。




お店の前に、今日のサービスランチが出ていました。


ランチやす~~い。


豚丼も魅力でしたが、ここはロースカツ定食をオーダー。


お店自慢の常用豚のロースカツは、肉の味が濃いのが特徴。


これがランチ600円でいただけるのですから、お得です。


「肉屋食堂たけうち」としては、ご挨拶価格なのかもしれません。


今度は夜も行ってみよう!


肉屋食堂たけうち

03-3697-6009

11時30分~21時45分 ランチ営業、日曜営業

月曜日、年末年始

2016年7月25日月曜日

[大人の亀有] 「百」と書いてなんて読む?どれを食べても美味しい隠れ家的おみせ。


今回は、亀有の隠れ家的お店「百」に行ってきました。



「百」は、「ひゃく」ではありません。「どめき」と読みます。


通常、「どめき」というと「百目鬼」と書くことが多いですね。その百をとって店名にしています。


亀有駅北口から歩いて程遠くないところにあります。


しかし、通りに面しているわけでもなく、ちょっとわかりづらい場所にあります。


またそれがいいのかもしれません。


ここのお店は、なにを食べてもおいしいです。


どのメニューも、重たいものがなく、揚げ物でもサクッと食べれておいしいのです。


うまか揚げ


なかでもこの「うまか揚げ」は絶品。


ロールしたキャベツの周りに豚肉を巻き、揚げたもの。


油もいいので味もしつこくなく、お酒のおつまみにはバッチリ。


肉巻き谷中

そして「肉巻き谷中」。


谷中しょうがに豚肉を巻きつけて焼いたもの。


これも、なにも味をつけなくても、生姜の味と豚肉の旨味がうまくマッチしています。


ピリカラトリ
最後に「ピリカラトリ」。


鶏からあげにピリ辛のソースを絡めたもの。


このピリ辛のソースだけを食べても、すっごくおいしい。


トマトやニンニク、たまねぎなど、いろんなものが煮こまれています。


どめきは、数ある亀有のお店の中でも、味と雰囲気の両方を兼ね備えたお店です。


関連ランキング:ダイニングバー | 亀有駅
酒楽 どめきダイニングバー / 亀有駅
  1. 夜総合点★★★★ 4.5

2016年7月24日日曜日

[大人の一丁目一番地(13)] 南水元1−1に行ってきました。戦前の田畑の中に住宅街?



今回の一丁目一番地は、南水元です。


ここは広いですね。


西は飯塚橋から東は水元公園。


北は星乃珈琲の通りから、南は東京理科大のあたりまで。



葛飾の他の地域にと違わず、もともと田畑だった地域ですので、道路は人工的に作られた物が多く、上記の地図でも拡大すると碁盤の目になっています。


しかしさすがに南側は、昔は三菱の工場や大東紡績の工場(モスリン工場)があったためか、道路や地形も碁盤の目にはなっていません。


1930年の地図を見ると、現在の東金町二丁目第2アパートのあたり(金町中学校の北、葛飾総合高校の南)に住居が密集して建っています。


こんな田畑しかないところに不自然だなぁ、と思って調べてみましたが、どうやらこのころ金町駅前にできた大東紡績の社宅だったようです。


上記は1947年の地図です。


この地図だと、この一角だけ宅地になっているのが一目瞭然ですね。


ちなみにこの宅地の東(右側)を流れる川は、現在の水元公園の南端、岩槻橋交差点(ラーメン天華のあたり)からまっすぐ東京理科大前に繋がる道です。


昔は用水路だったんですね。

あの「外出時間の延長」を求めたことで有名なモスリン工場のストライキは1928年ですので、この地図の頃には福利厚生改善の社宅ができてきたのでしょうか。


このモスリン工場のことについては、東金町一丁目一番地の記事に書こうと思います。